04794-170612 ゼミの班を実力別に再編したら
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先週から、ゼミの班を実力別に再編。するとどの班も今までより議論が活発。超活発。
現在28名いる学生のパフォーマンスには大きな開きがある。やる気の薄い学生がきちんと議論と作業をする学生の足を引っ張っているのは火を見るより明らか。
学生たちにもその問題意識があって、どう再編するかで悩んでいる。学生たちの意見で前の週に3つの班を2班に統合してみたが、上手くいったとは言えない。そこで学生たちからいくつもの再編アイディアが出され、その議論だけでも学生たちの糧になるのでしばらく見守る。
機を見て問いかけてみた。「今ここに、民法の他の先生方がいらっしゃったとして、この判例で最高裁が述べたロジックをその先生方に説明できる自信がある人、立って。」
「立った人たちはこっちに来て。」8人が集まる。「じゃあこの8人を1班にしよう」
学生たちがどよめく。今までだったらその8人を2人ずつ4つに分けて、その2人ずつを核として4つに班分けしていたであろうから。
でも今回は違う。やる気があって実際に研究し、検討し、議論し、書いてくる学生だけで班を作り、先頭を走ってもらう。その背中が他の班から見えなくなるくらい、突っ走ってくれていい。
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「残りの人は好きなように班作って、メンバーと班長が決まったらスクスク(Scrapbox)に書いといて。」 ほどなく班分け終了。きれいに分かれた。これぞ自律。オートノミ。
やはり玉を磨く時には同じ硬さの玉同士で「珠磨き」をするのがもっとも輝きを増すのだ。硬さの異なる玉で磨くと傷がつくばかりで輝かない。
学生たちの実力を引き出すのが教員の役割。educationとはeduceする(引き出す)こと。そのためにshioが行うのは、「仕組みを作る」、「本質を明らかにする」、そして「やって見せて面白がる」。学生たちの力が引き出されるよう、この3つを行い続けるのが教員の役割。
教えないのが究極の教育。そのためにいかにshioが教えずに学生たち自身が自分で思考を進めて自らの解(快)を自ら生み出せるよう導くか。日々、その工夫が楽しい。
「教育」とは、「教員が教えて教員が育てる」のではない。「学生が教えて学生が育つ」のです。主語はあくまでも学生。他の学生や教員に対して学生が教える。その経験、場数を踏むことで学生が育つ。それが教育。いわゆるアクティブラーニング。
その究極の場がゼミ。学生たちが自発的自律的に議論を展開する。shioが喋る機会はほとんどない。学生たちが笑いながら真剣に語り合っているのがshioゼミの日常的風景です。
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